先日、始めてのライブハウスに出演した。
その月ごとにテーマがあって、そのテーマに沿ったMCないし演目をやるという趣旨のブッキングライブで、私が出演した月のテーマは「愛こそ全て」だった。
このテーマだと知らされた瞬間に、私は愛情飢餓感をテーマにしたライブをしようと思った。はじめて出るライブハウスで何だけれど、私は愛こそ全てだなんて絶対に歌えないし、 愛こそ全てと歌われたら間違いなく唾を吐き捨てるタイプの人間だから。
いや、思ってるんだけど。年を重ねるごとに物凄く実感しているんだけれど。そんな事わかってるんだけど。
だけれどだからこそ、「愛こそ全て」の世の中の中で、愛のない人生を生きている私達はどうすればいいのかという話で。愛のある世界で愛なき人生を過ごしてしまう人たちに、そんな残酷な正論を突き付けてどうするんだと思ってしまう。
愛情は万人に平等に与えられるものじゃない。愛情を手に入れるには、努力と才能と運と経験と信頼が必要で、それらが欠落しているばっかりに、飢えて苦しんでいる人なんてこの世に山ほどいる。素敵な人は愛されるし、そうでない人は愛されない。当たり前だ。私もあなたもマザーテレサでもナイチンゲールでも何でもないから、万人に平等に愛情を注いだりだなんて出来ないし、嫌いな人は嫌いだし、関わりたくないなと思う事も思われる事もある。
「愛こそ全て」と言われて、その真実を認めてしまえば、大げさではなく死んでしまう事だってあるだろう。自業自得だと言ってしまえばそれまでだけど。その考えこそ、この世で一番何よりずっと愛がない。
誰しも自分の人生があるし、他人の人生なんかよりも自分の人生が大切な事はあたりまえだから。ああこれ以上にこの人と関われば自分が傷つくな、ああ今の状態で他人と関わっては誰彼構わず傷つけてしまうだろうな、そんなときは沢山ある。
そんな時に、現実では手に入らないどうしようもない心の隙間を空洞を、癒してくれる物が音楽であって芸術なんじゃないのかな。少なくとも、私にとってはずっとずっとそうだったし、私にとっての一番の恩人も親友も恋人もずっとずっと音楽だった。
愛がなければ生きられないかもしれないけれど、それでも何とか生きようとしてもがいている、本当に孤独の果てにいる人に、「愛こそ全て」だなんてそのまま伝えることは言葉が強すぎる。それは簡単に攻撃の言葉になるし、なんだか、「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と同じ様な感覚になる。言葉の意味は全然違うんだけど、受け取る側の感覚が。
愛こそ全ては、多分きっとそうなんだろう。だけれどそれを認めてしまえば死んでしまう人がきっと沢山いるだろうから、私はそんな言葉は使いたくない。そんな言葉は使わないままで、孤独に飢えて死にそうになってる人の肩でも叩ける音楽がしたいよ。
元気な音楽聴いて元気になれる人なんて、きっと元々元気だよ。「愛こそ全て」と歌われてすんなり聴ける人は、元々愛を持っている人だよ。自分と他人のどうしようもない飢えと欠乏を、癒せる様に歌いたいよ。
元気になったり愛情を手に入れたりするための努力は、その後に現実世界で各々歯を食いしばって頑張ってくしかないんだからさーーーーー、と、思う。
そんなこんなな事を思って、今の私のTwitterのbioは「音楽通して共依存しようぜグヘヘヘヘヘ」というなんとも気持ちの悪いものになっている。気持ち悪いけど、多分一番本心に近いからしばらく変えずにコレで行くよ。
読んでくれてありがと!それではまた~~~。
※企画の予約もとってもお待ちしているよ!!
さいとーゆきほ
ギターでオリジナル曲を弾きがたっている人のブログです。 ツイッターでは尺の足りない話があるときにつらつらと。 【Twitter】@happy_walk_ 【HP】https://ztips-orutana.wixsite.com/saito-yukiho
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