とってもちゃっちぃトラウマの話

 ずいぶん前の、多分小学生くらいの頃に見たニュース番組で、通り魔殺人をしてしまった男の子の話をしていた。インタビューを受けていた人は、男の子について「普通の大人しい子だった。ただ、通りすがりによく時間や曜日を尋ねられた」と答えていた。

 ぞっとした。

 「何時ですか」「何曜日ですか」「今日の天気予報どうしたか」

 そういった、全然知りたくもない質問を、私もよくしていたから。

 一緒にニュース番組をみていたお母さんは「不思議だね」と言った。私は、全然不思議じゃないと思った。

 私は、優しくしてくれる先生や、大好きな先生と喋りたかった。なんでもいいから喋りたかったし、私の事を気にかけて欲しかった。だけどなんて声をかけたらいいのかわからなくって、うまくしゃべれる気が全然全然まるでしなくて、全然何にも知りたくもない、当たり障りもない質問をしていた。

 今思い出すと、ちっちゃい私どんだけ寂しかったんだろうか、と思うし我ながら撫で回してやりたい衝動にかられるのだけれど。当時の私は、「あっ、これ、やっちゃいけない事なんだ」「そうしたいって思ってる事が、バレちゃいけない事なんだ」と思って、それから先生に意味不明な質問をしなくなってしまった。

 似たような話がもう一つある。

 私のお母さんは、当時児童館の手伝いをしていた。もちろんお母さんは保育系の資格なんて持っていないし、(私が思うに)人を育てる事への適性も才能もなかったけれど、それはそれとして児童館の手伝いをしていた。もひとつおまけに、私のお母さんには全然友達がいない。いても、気軽に会える距離にはいない。だから、日常の些細な出来事や相談事を子供によくよく話してきかせていた。父親への愚痴や己の人生への不満も、よく話して聞かせていた。

 その中で「愛情の足りていない子供はすぐわかる」と自慢気に語っていた。どんな子なの、と仕方なく私が聞くと

 「わざと失敗やイタズラをする。そうしてかまってもらおうとする。そういう子ってニヤニヤしているからワザトだってすぐにわかるし、やっぱり言動とか可愛くなくて構いたくない」と答えた。

 泣きそうになった。

 私はよく、わざと失敗やイタズラをして、ニヤニヤしながら先生の様子を伺っていたから。

そうか、私は愛情の足りていない子なのか。そうか、私は可愛くなくてかまいたくないのか。そっか。

 私は、イタズラする事をやめてしまった。そして、お母さんの語った「愛情の足りていない子」の特徴にしっかり私があてはまっている事に悲しくなった。そしてお母さんは、私がそうした特徴をもっている事にはサッパリ気がつかなかった。

 そんなこんなで、私には「私の考えている事はいけない事だ」「私の考えが人にバレちゃいけない。隠し通さなければならない」と思うような習慣がついた。こんな小さな出来事を十数年間もずっと覚えていて、心の隅にいるのだから不思議だと思う。小さな子と話す時は、本当に言葉とか振る舞いとか気をつけようと思う。

 そして、くだらん習慣をぶち壊してくれた、芸術とロックとサブカルチャーに、私は心の底から感謝しているよ。私が私である事を許してくれたのは、身近な現実の人間の言葉ではなくて、はるか遠くの現実の人間が作った作品達だったから。

 今日、手先だけ動かして脳みそが暇なタイプの労働をしていたら、なんだかいろいろ考えたり思い出したりしたのでブログに書きました。ついでに銀杏BOYZのライブ動画とかうっかり再生してしまって、いてもたってもいられなくなったので書きました。最高だなライブ動画。たまにちょくちょく見返そう。

 何だか思いがけず、母親への恨み節が漏れ出てしまったな…本筋ではないのに。仲は悪いし実家にも全然寄り付いてはいないけれど、私とは関係のない世界で私とは関係のない文脈で、勝手に幸せになればいいと思う。ただただ弱くて余裕がなくて、自分の事が可愛くて、自分の事を守りたいだけの、ただの人間でしかないのだから。私にあなたは救えないから、あなたに私をわかってくれとか、愛してくれとか、そんな事ももう望まないよ。元気にやれよ、と他人事の様に思いたいよ。そういう歌今度作ろう、って、このブログ書きながら思いました。

 終わり!毎度毎度個人的でごめんなさい、読んでくれてありがとーございまっす!!

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さいとーゆきほ

ギターでオリジナル曲を弾きがたっている人のブログです。 ツイッターでは尺の足りない話があるときにつらつらと。 【Twitter】@happy_walk_ 【HP】https://ztips-orutana.wixsite.com/saito-yukiho