あとは自分で考えろ

ライブがうまくいかなかったとき。上手くとかじゃなくいな、良くなかったとき。足が震えてしまったり緊張してしまったり、上手く歌えたかどうかだなんてつまらなく下らない事に心が持っていかれてしまったとき。

何でなんだろうどうしてなんだろう、どうしたってライブの出来映えが安定しない。ということを、ここのところずうっとグルグル考えていた。

人前にたって自分の思いの丈を突っ込んだ歌を歌おうとするとき、25年の人生の中で築き上げてしまった自己イメージが、私を下へ下へと引き摺り下ろそうとする。お前なんかに何かが出来る訳がないだろう。お前ごときの歌を聴きたい奴がいるわけがないだろう。お前に、歌ったりする資格なんかあるわけないだろう。
根拠ない自信なんかどこにもないから、根拠ある自信を身に付けようとしてライブの本数を増やして練習の時間をバカみたいに増やした。だけどきっとそういう事じゃない。最近やっと我に返った。全然そういう事じゃない。
恥ずかしいなら恥ずかしいで、押し潰されそうならば押し潰されそうで、そこはそのままでも構わないから。押し潰されてたまるかと足掻く姿をそのまま載せてしまえばいいのに。見せるまいと取り繕って手段としての音楽ばっかり気にしたりして、私は一体何をしているのか。

この間、某わたなべさんの企画に参加させてもらって、事細かなレビューのブログを書いてくれた。すごく嬉しいしありがたい。
その中で、ざっくり意訳して「不思議、結局どういう人なのかが掴みきれない」という文章が書かれていた。そうだね、と思った。
私も私がよくわからない。どれが地の自分なのか、そもそも地の自分なんかあるのか、よくよくわからなくなってしまう。
なんで音楽は尖っているのに媚びたような話し方をするの、と言われたことがある。それしか知らなかったからだよ。
仕事はできない頭もよくない友達も出来ない私が何とか生きていくための振る舞い方を、それしか知らなかったからだよ。アルティメットド天然が何とか生き延びていくために、中身がスカスカでどんなに質の悪い好意でもいいから近くに引き留めておきたかった。その好意が向けられる先が、別に地の私ではなくても構わないから。

私は私に人生を取り戻してあげたい。カッコ悪くて情けなくて本当に恥ずかしいけれど、多分私が「なんで歌っているの」と聴かれたときに答えるべき答えの、一番芯の部分はそこなのだろうと思う。

人のために歌っているんだと言いたかったし、私はこれこれこういう人間なんだよと、人に堂々と伝えてみたかった。だけれど私はそうではないから。そんなフリをしてみたって仕方がない。
カッコ悪くてみじめで恥ずかしい、私をそのまま舞台の上に上げてあげたいし、それが出来なければ歌っている意味がない。
一皮剥けたい。私は、私になりたいよ。

あとは歌うからここで終わり。読んでくれてありがとうジャスティス。ばいばい

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さいとーゆきほ

ギターでオリジナル曲を弾きがたっている人のブログです。 ツイッターでは尺の足りない話があるときにつらつらと。 【Twitter】@happy_walk_ 【HP】https://ztips-orutana.wixsite.com/saito-yukiho