サブカル女子にはなろうと思ってなりました

 サブカルとかスイーツとかギャルとかオタクとか清楚とか、人の事カテゴリ分けする言葉って沢山あるじゃないですか。

 自分の事分類するなら考えるまでもなくサブカルだと思うんですけど。あ、メンヘラとかなんとかは断じて認めないのでそれではありません。ていうか私はリスカもODも自暴自棄ワンナイトも恋愛依存も(多分)した事ないのでメンヘラではありませんええ断じて。でもそういう事してる人の事メンヘラだとも思わないです別に。他人様の事をディスる言葉はさっさと滅びれば平和ですねはよう滅びろ。


 「サブカル」とか「スイーツ」とか「ギャル」とか雑にまとめられてカテゴライズされるの嫌だ、っていう人が多いんじゃないかなと思います。ただ、どういうわけだか18歳の時の私は「何でもいいからカテゴライズされたい」と思っていて、自分の素養に最も適している最もメジャーな分類は何だろうと考えた結果、「サブカル女子」になろうと思って音楽を聴いたり映画を観たりし始めました。

 いや元々好きでしたけど音楽も映画も。ただこの時の名残で私のPCには筋肉少女隊の音源が取り込まれているし、部屋にはアメリのDVDがあります。どっちもちっとも魅力はわからなかった癖に、「何かサブカル女子っぽいから」という基準で手を出しました。


 私は14歳で転校して転校先で全く友達が出来ず「もしかして私このまま生きてくのマズイんじゃないだろうか」と思ってようやく人生に参戦しました。人生に出遅れていた自覚があった私は高校で慌てて演劇部に入って (格下だと思っていたハトコが演劇部で活躍していたので「あいつが出来るなら私にもできる」と思いあがって演劇部にしました。純粋に性格が悪い。) 奮闘するも空回って燃え尽きて、「あー私なんにもないなーヤバイなー」という気持ちが大きくなりすぎていて、何でもいいからカテゴライズされて安心したかったんだと思います。「私はこういうものです」と差し出せる名刺代わりの何かが欲しくて、社会に属している証拠としてのユニフォームが欲しかった。家に居場所のない少年がヤンキーの仲間になりたくて金髪にするのと一緒ですね。


 私はスッカスッカなイレモノでしかない自分自身に中身が欲しくて、「サブカル」という言葉で括られたものに片っ端から手を出していました。馬鹿みたいだと思うし、当時も周りの人に馬鹿みたいだと思われていたと思います。だけど「サブカル女子になる」という意味の分からない目標を持って動いた結果、ポーズではなくて本当に好きな音楽やら何やらに出会えました。結果オーライです。万歳。ありがとう18歳の私。


 だから、私はカテゴライズに割と賛成なんです。本当に全然どうすればいいかわからなくて途方にくれている人に、いくつかの選択肢としてのサンプルを与えることに近いと思うから。音楽でも、ロックってどこまでロックなの?パンクってどこまでパンクなの??オルタナティブって便利に使われ過ぎじゃない???とか色々あるし正直色々意味わからないけれど、「どうやら自分はこのグループのものが好きらしいからここから聴いてみよう」という風にとっかかりとして機能できるから、ぐっちゃぐっちゃの分類でも必要なんだろうなと思うんです。

 一昔前のメンヘラブームとかもそうだと思う。やたらと自分に病名つけたがる様なのはどうかと思うけど、「あなたは〇〇なのでこういう対策したらええんちゃう?他にもそういう人いるけど会う??」とか提示できるのはとても素晴らしい。でもカテゴライズは自らの意思で使う分にはすごく便利だし平和だけど、他人が勝手にあてはめるもんじゃないからね。下手すると戦争が起きるからそこは気を付けようね。言葉は使い方が命。


 私は別にもうサブカル女子であろうとはしていないけれど、客観的に見て、まぁ、カテゴリ分けするのなら間違いなくサブカルだろうとは思います。そしてやっぱり心のどこかで、私がカテゴリ分けされる先があることに安心もしています。心の根っこが小市民だから、安心できる理由をきっといつでも探しているのです。サブカルと言う言葉の持つ属性から考えると、「サブカルに所属する事で安心する」てなんだか滑稽ですけれど、意外とそういう人って多いんじゃないかと思っています。私は大森靖子や銀杏BOYZや神聖かまってちゃんが、人に表だっては言えない事を歌ってくれた時、そして彼女ら彼らの歌が売れている事を知ったとき、「ああよかった、私一人だけが頭がおかしい訳じゃないんだ」と思って安心してしまったから。

 自分と似た属性を持った人間が世の中に一定数存在するのは、やっぱり嬉しい事ですよ。ただ、カテゴライズは便利だけれど初心者向けの入門方法だから、本当に好きになってしまったり、そこにこだわりが生まれてしまうと安易に使えなくなってしまいます。カテゴライズ自体に愛や思い入れがあったとしても、私の思うサブカルやパンクと、他の誰かが思うサブカルやパンクが一緒であるとは限らないから難しいです。ね。

 カテゴライズは始めは必要、あとは邪魔。そんな感じな気がしています。


 あと、ちょっと話はずれるけれど。自分とよく似た誰かがいると信じて探す手段になる事は、音楽の持つ一つの役割の様な気がしています。「一人じゃないよ、みんながいるよ!!」とかドストレートに歌われてもいないもんはいないし、「みんな」っていう括りに入れないまま生きてきた人生なので「みんなって誰だよてめーはいてくんねーのかよ」と心がやさぐれます。そうじゃなくてあんたが私の側にいてくれよ、って思っちゃいます。現実世界ではどうにもならないものや、現実世界では手に入れることができない欠けているものを埋めてくれるのが、音楽であって芸術であると思っているから。
 家族も友達もいない人も現実には存在しているし、そんな人に「ひとりじゃないよ!!」とか歌って自分の事だと思う訳がないんですよね。そうじゃなくて、「あ、私と同じ様なこと感じている人、いるんだ」って思えることや、そう思える対象を熱心に聴いている人が自分以外にもたくさんいること。それに救われてきた人って沢山いると思うので。音楽を通して人と繋がる、とかじゃなくて、音楽は音楽それ単体で他者の存在を感じられるものだと思うから。
 だから当たり障りのある事ばっかり歌詞にしていきたいな。おら頑張っぞ。笑



 …纏まらなくなってきたのでここらへんで!笑 文章書くの好きだったはずなんだけどリハビリ難しい。読んでくれる人いるのかな、いたら嬉しいな。ここまで読んでくれた貴方様本当にありがとう好きすき大好き超愛してる。また、来週あたりに更新します!

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さいとーゆきほ

ギターでオリジナル曲を弾きがたっている人のブログです。 ツイッターでは尺の足りない話があるときにつらつらと。 【Twitter】@happy_walk_ 【HP】https://ztips-orutana.wixsite.com/saito-yukiho