世の中と私

ブッカーさん(超お世話になっている)に

「こんなにパーソナリティー心配になる曲作る子が、普通に社会生活営もうとしてるの面白いよね!」

って言われたのが本日のハイライト。確かにぃ~~~と思ってとてもウケてしまった笑笑笑


 …と、先日ツイートしたのですが、せっかくだからこのテーマでちょっとブログ書いてみる。ブログ書くのもめっちゃ久しぶりだな懐かしいや。

 私、わりと「世の中なんかくそくらえだぜ!」「社会適合何てしてたまるか!!」みたいな人だと思われがちなんだけど(余裕を無くしてる時には実際そういう発言もしてしまいがちだけど)、実際そうでもないんですよね。私は滅茶苦茶働きたいし働いた上で滅茶苦茶認められたいし滅茶苦茶社会適合したいし、なんていうか、「真っ当な人が営む暮らしと日々のぬくもり」みたいなものに滅茶苦茶あこがれがある。何が欲しいってそれが欲しい。多分だけど、私はロックスターになるよりもそんな些細な日常の幸せが滅茶苦茶滅茶苦茶滅茶苦茶に欲しい。だけど果てしなーーーく遠いいんだよね悲しいね。

 最近、有線とかでRADWIMPSの「愛に出来る事はまだあるかい(曲名なのかフレーズなのかわかんないけど)」を聴くと泣いてしまいそうになる。髭ダンとかも聴いていると泣いてしまいそうになる。それは楽曲として優れているという事もそうなんだろうけれど、それ以上に、「今日現在の私には手に入らない人々の営みの尊さ」みたいな概念を私の目の前に提示してくれる音楽だから、「ああぁ~いいなァ~羨ましいなぁ~!!」みたいに思って、羨ましい…と思って泣いてしまいそうになる。傷ついてしまうから、元気のある時にしか聴きたくなかったりもする。

 私は多分持たざる者だし掌の上には何もないかもしれなくて、だからこそ何もかもが欲しくてたまらないし身の程知らずな事をずっと思ってたいしあがいていたい。私がつくる音楽はきっと、持たざる者が持てる者になりたくてあがくときに出てくる膿を排泄して浄化したくて作ってる音楽なんだろうな、って最近思ったりもしたよ。

 私はあくまで社会で生きていきたい。その社会っていうのは音楽界隈だったり職場だったり何だったりと色々だけど、とにかく、なんだかんだで寂しいから。私は私が私のままで私以外の誰かに認められたいし受け入れられたいし、その落としどころを多分ずっと探している。認められたい・受け入れられたい、という欲がとても恥ずかしい物である気がしてついつい隠してしまうのだけれど、自分自身で作った曲はどいつもこいつも同じテーマを手を変え品を変え歌っているし、多分根本的にある事だから、誤魔化したって仕方ないよねって最近思うようになった。

 私は、私が私のままでどうにかこうにかこの世で何とか生きていきたいよ。難しすぎて度々泣きそうになってしまうけど、どうにかしてやってやろうと思っているよ。


 あと、近々ちゃんとまたCD作りたいなあ、とか思っていたりする。社会で生きていきたいという欲と音楽活動への意欲は反比例じゃない。私は欲張りなのです。

 読んでくれてありがとうございました。それでは!!

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さいとーゆきほ

ギターでオリジナル曲を弾きがたっている人のブログです。 ツイッターでは尺の足りない話があるときにつらつらと。 【Twitter】@happy_walk_ 【HP】https://ztips-orutana.wixsite.com/saito-yukiho